ほぬの日記

子育てのことを中心に日々感じたことを綴っていきます!

我が子のブックスタートについて思うこと

私は学生時代、国語が得意でした。

「得意」というより、「自然にわかっちゃう」という感じでした。自然にやった音読も、先生や友達に褒められていました。それがなぜかなぁ、と考えたときに読書習慣が身についていたことが第一ではないかと思いました。私の読書習慣を育んだのは家庭の環境が大きかったと思います。生活している環境のなかに、自然に本がありました。保育士資格を持っている母が、ちゃんと絵本をそろえていてくれたんです。そして、寝る前の読み聞かせ。いわさきちひろさんの絵を寝る前に父の隣で眺めた覚えがあります。もう少し大きくなってからは母に連れられて図書館にも通いました。パジャマに着替えて兄弟と一緒に本や紙芝居を読む時間はとても楽しみでした。

本がある、という環境に加えて両親が本を読む姿をたくさん見ました。子どもが本を借りるのと一緒に両親も本を借りて読んでいました。小学校の高学年あたりから「大人の本」を読んでみよう、という意識付けになったのは本を読む両親の姿だと思います。

 

そんな環境で育ててもらったので、我が子にも環境だけは用意してあげたいなと思っています。(親のエゴになりすぎないように気をつけないとですが…)

絵本と一口でいっても玉石混淆です。たくさんあって何が良いのやらよくわかりません。少し勉強してみると、同じ「桃太郎」でもいろんな出版社からいろんな形で出ていることがわかりました。図書館にあった分だけでも5種類くらいはありました。教えられてはっとしたのは、桃太郎が鬼退治に行く理由が書かれているものと、書かれていないものがあるということ。理由があるかないかで「困っている人を助ける」桃太郎なのか、「理不尽に鬼をやっつける」桃太郎なのか、桃太郎に対する子どもの捉えが変わってきます。子どもにはその判断が出来ないので、近くにいる大人がどんなつもりで読むのかという心構えが必要だと感じました。

そして、大人の視点と子どもの視点は違います。大人にとっての本は「書き文字」子どもにとっては「(読み聞かせの)音声」だそうです。日本語の美しい響きがある本は読み聞かせていても楽しそうです。そして子どもが読んでいるのは絵です。絵がどのように描かれているかも大人が吟味することが必要です。

…とはいえ、身構えてしまうと本が遠ざかってしまうので、さっとわかる方法として、出版から20年以上経っても重版され続けている本、というのが一つの目安だそうです。長い間子どもに親しまれてきた本は多くの大人の目も入っています。ノルウェイの森(だったかな?)で「時間に磨かれたものは読む価値がある」的な台詞が出てきた気がするのですが、まさしくそれだと思います。

 

まずは私が子どもの頃に読んでもらった本を実家で探ってみようと思います。私が母からしてもらったことを私が自分の子へ伝えていくなんて壮大な営みですね。